


2019.8.26今日は職場の呼び出しシステムが新しくなり、レイアウトも、
変更があり、朝からバタバタ。新しいことに苦手意識があるので、
失敗しないかとドキドキ。メーカーさんが一日いて下さると、
聞いていたのですが、私はローテーションで11時からの受付。
小さな失敗はあったものの、何とか交代の時間になり、ほっ。
こんな日でしたが、先週から12時で早退を申し出ていたので、
着替えて、梅田のブリーゼブリーゼに急ぎました。
亡くなった父の末の四男の弟の叔父と、私の二人の姉とのランチ。
叔父が予約してくれていた和食店に入ると三人はすでに到着。
冷たいビールも飲みながら、いろいろおしゃべりしました。
4月にたまたま、私が愛媛の久万高原町に家族で行った時に、
叔父にメールすると入院中だと聞き驚いたのですが、その後は、
無事に退院したと聞き、あまり詳しくまでは聞きそびれ、
今日やっと「どこがお悪かったんですか?」と聞いてみると、
「脳梗塞だった・・・」「えーっ」長く勤めた堂島の会社を、
定年後は、山登りや、サイクリングや、家庭菜園を楽しみ、
畑の手入れ中に異変を感じながらも5分ほどの距離を車を、
運転して帰宅した時は、家の鍵を開けることも出来ない状態。
叔母が救急車を呼んでそのままの入院だったそうでした。
私は何も知らずに、入院の翌日に叔父にメールしていたのです。
そして、メールした翌日に叔父は返信してくれていたのです。
何だかひらがなが多いなあと感じたメール、無理もなかったんだ。
でも、今日の叔父は後遺症もほとんど感じられず、
食べながらいろいろ、懐かしい話を聞かせてくれました。
10月には82才になる叔父。私が生まれた時は浪人中で、
わが家に同居していました。生まれた時の話もいろいろ。
三男の叔父の「恋人」の女性が泊まり込んで、産前産後の、
母の代わりに家事を担ってくださっていた話も聞いたり。
姉二人がいつもきょうだいげんかをしてにぎやかだったとか、
姉たちは同じ銀行に勤めていたのですが、従妹も同じ銀行。
その従妹は、銀行をやめて、今は医療関係のベテラン、
医療を目指したきっかけになった出来事を聞かせてくれたり、
その専門学校がたまたま私の職場の近くで、年下の同級生と、
同じ制服を着て駅のホームを歩いているのにばったり出会った、
話をすると「どこかでつながっているんだねえ」と驚いたり。
八幡浜の家が戦中に建物疎開で壊され、久万に疎開して、
小学生時代を過ごしていたという叔父にGWの久万の画像を、
見てもらいました。
平と
治が「懐かしさ半端ない風景や」と、
言っていたというと笑ってくれました。ランチを終えて、
「会社に顔を出して来る」という叔父と別れて帰宅しました。
今でもたくさんの後輩が迎えてくれる堂島の会社、いいなあ。